300<スリーハンドレッド> 2007年 アメリカ
ジェラード・バトラー レナ・ヘディ
題名からして 「何?」って 感じですが~?
300人のスパルタ兵が 100万人の敵と戦った史実を描く。
紀元前480年 ギリシャの都市国家スパルタの王 レオギニスの
もとに ペルシア帝国の使者が訪れ 服従を迫る。
服従も降伏もしないことが スパルタの掟だった。
強大な ペルシア軍を敵にした 王のもとに 300人の屈強な
スパルタ兵が集まる。
子供が産まれると弱い子は 捨てらて 鍛えられる。
鍛える・・・鍛える・・・闘わせる。
これが 「スパルタ式の発祥か?」
※スパルタ
新生児は部族長老の面接を受け、
虚弱者は山奥の洞穴に遺棄された。
男子は7歳で家庭を離れ共同生活を送り、
12歳から本格的な肉体的訓練と
スパルタ人としての教育を受けた。
軍事訓練の一つとして、ヘイロタイから物を
盗み殺害することも奨励された。
こうして、彼らは質実剛健、忍耐と服従を身につけ、
18歳で民会の全会一致により
成人の仲間入りを果たした。
こうした人材育成はスパルタ教育と言われる。
ペルシア人の描きようが 疑問になったが「イラン人」であっかた?
当時は アジアまで征服していたのか?
※「ペルシア人」
歴史的なイラン地域および中央アジア方面に住み
主にペルシア語を語る人びとのことを漠然と指す
狭義にはイラン・イスラム共和国籍を
有する人(イラン人)のもっぱら定住生活をとり、
ペルシア語を主に語る集団を指す
民族名称ファールスィーの訳語である。
なお、「ペルシア人」を意味する他称をもつ人々として
アフガニスタンのファールスィーワーンや
インドのゾロアスター教徒
であるパルスィーが存在しているが
欧米の諸言語や日本語では彼らを
「ペルシア人」とは呼ばない。
王妃の首に首飾りや 耳にイヤリングが無いのが
気になっていたが・・・。
ドレスのデザインは 素敵であった(体型が良くないと無理だが)
装飾品が無くて 華やかさが無かったのである。
※スパルタ人は徹底的に贅沢を排除して、貴金属
の装飾品を身につけることさえ禁じた。
紀元前480年、破竹の勢いで侵攻を進める30万のペルシア軍に
対しギリシア諸都市連合軍の作戦立案を担当した
アテネのテミストクレスは
山間のテルモピュライでペルシアの侵攻を
食い止める作戦を立てた。
この戦場は主にスパルタが担った。
しかし地元民に内通者が出てペルシア軍に迂回路を教えたため
背後を突かれて窮地に陥ることとなった。
そこでスパルタ王レオニダスは他の諸都市の
兵4000を先に逃亡させた後、
自ら300人のスパルタ兵を率いてペルシャ軍を
迎え撃つと、3日間持ちこたえて玉砕した
(テルモピュライの戦い)。
この時間稼ぎが、アテネ海軍にペルシア軍を海上で
迎撃する態勢を整えさせ、
サラミス沖の海戦での勝利を可能にした。
その勇敢な戦いぶりが全ギリシア人から称賛を受けた。
映画だけ観ると 闘いのシーンばかり多くて
残虐たるもの無いのだが
ワンシーンは 絵画のように美しい映像美ではあった。
闘いや 子供の頃から兵士として育てられた場面ばかりで
内容的には どうのかな・・・?と
思いながら観ていたが
こうやって 史実の事を調べて知らない事を
知る楽しさが 映画の後の 楽しみとして追加されたようだ。
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映画館で観る事は なくなってしまったけど
“WOWOW”とかTVで見た
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